2010年06月19日

呪われて建国された国「日本」

アリオンは、こう言っている。

「桓武の夢を一度は叶えた国民よ、此度は思いとどまれよ」

桓武天皇は奈良の平城京を捨て、新たな都を建設することを宣言した。
その理由については諸説あるが、怨霊を恐れての事だったらしい。
桓武は天皇に即位するまでに、政治的謀略を重ね、邪魔者に無実の罪を着せて流罪や暗殺、兄弟にまでその魔の手は伸びた。

遷都計画は藤原種継が仕切り、遷都先は種継の母の実家がある秦氏の根拠地である山背国(京都)に決定し、新都は長岡京(現在の京都府長岡京市)と命名された。
遷都から間もなく、藤原種継暗殺事件が起きた。
まず、大伴竹良らがまず逮捕され、取調べの結果、大伴継人や佐伯高成ら十数名が処刑された。
首謀者は、『万葉集』の歌人で有名な大伴家持で、種継暗殺後、桓武天皇を退位させ、桓武天皇の皇太子だった弟の早良親王を即位させる計画だったという。

そして、早良親王は皇太子の位を剥奪されて淡路島に流されたが、早良親王がこのクーデターに一枚噛んでいた証拠は全くない。
それどころか、遷都に反対する保守派を一掃する為の、桓武天皇の謀略だったことが判明している。
淡路島に流された早良親王は、一切の食事を拒否して憤死した。

翌年、桓武天皇の妻・藤原旅子の母が死亡し、その2年後に旅子も死亡。
その翌年は桓武天皇の母・高野新笠が死亡し、その3ヶ月後に皇后の乙牟漏が死亡、その4ヶ月後には夫人・坂上又子が死んだ。
更に疫病が大発生し、次々に死者が出て、安殿親王も病に倒れた。
陰陽師によると、全ては早良親王の祟りであり、祈祷や伊勢参りや、その他あらゆる手段で祟りを鎮めようとしたが、そこで長岡京に大洪水が発生し、首都機能は完全にストップした。
恐怖の絶頂に達した桓武天皇は、再び遷都を断行する。
藤原小黒麻呂を造営長官とし、風水、奇門遁申、呪術を駆使して、怨霊を完全に封じた結界都市「平安京」が建設された。

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しかし、この平安京の遷都は、最初から最後まで、全てがシナリオ通りの陰謀だったという。
その陰謀者は、決して表には現れない秘密結社「山背派」。
その中核である平安京遷都計画の真の黒幕は「藤原氏」だという。
天皇家の系図には藤原氏が名を連ね、一条・近衛・冷泉などの支族を含めると、藤原氏は日本のエスタブリッシュメント(支配者階級)であり、その構造は現在でも変わっていない。

話は飛鳥時代に戻るが、中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)のクーデターにより、蘇我氏本宗家が滅び、飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと転換した。
世に言う「大化の改新」である。
その後、天智天皇の弟である天武天皇が即位し、平城京は天武天皇の血統で固められた天武王朝だった。
ところが最近の研究では、天武天皇は天智天皇の弟ではないことが分かっている。

藤原氏がまず行なった事は、天皇家を天武系から天智系の血統に移行させる事だった。
天武系の称徳天皇の死後、藤原氏は天智系の光仁天皇を即位させ、山部皇子(後の桓武天皇)を謀略によって皇太子に即位させることに成功。
更に、井上皇后と本来の皇太子である他戸皇子に無実の罪を着せて幽閉し、その後、2人も謎の死を遂げている。
そして桓武天皇が即位すると、天武系勢力は抹殺・追放され、完全に一掃された。

今年の1月2日、たまたま視ていた歴史番組でやっていたが、天武天皇は大和王権の霊力を利用し、日本(ニッポン)の国号を決めた天皇だという。
大和王権の霊力とは、封印されたニギハヤヒの霊力に他ならない。
スサノオ・ニギハヤヒは、ガド族の王である。
日ユ同祖論者の小谷部全一郎氏によると、ガド族の祖「ガド」の息子に「ツェフォン」がいるが、ヘブル語で強く発音すると「ゼッポン」で、日本を呉音で「ジッポン」と発音する。
つまり、ニッポンの語源が「ツェフォン」だと言うのだが、天武天皇の時代まであまりにも離れ過ぎている。
だが、無関係とは言い切れないのも事実で、騎馬民族王朝説の江上波夫氏は、記紀で任那が「任那日本府」と記されていた事に注目した。

任那は騎馬民族(イスラエル10支族)が、日本上陸前に朝鮮半島の南端に建国した辰王の国である。
出雲族〜物部氏の中で、日本(ニッポン)という国名が受け継がれていた可能性は大いにある。
更に、蘇我氏に滅ぼされた物部氏は大和朝廷から姿を消したが、672年の壬申の乱に物部雄君が天武天皇の武将として大功を上げ、物部氏から石上氏と改めている。
結論として、天武天皇は物部系だった可能性があるのだ。
そうすると、藤原氏がそれを一掃しようとした理由も氷解する。

ちなみに、ニギハヤヒは大和の偉大な大王となったが、ニギハヤヒが「ヤマト」という言葉を作ったわけではない。
ヤマトの語源は、イエスの時代のユダヤ人言語の「ヤ・ウマト(神の民)」だという説があるが、だとしたら、ニギハヤヒを封印した後に大和朝廷を樹立したイエスメ―ソン(秦氏)が作った国名である。

話を戻すが、秘密結社「山背派」の黒幕が藤原氏だったという事だが、その裏に真の黒幕が存在するという。
それは既に述べた通り、山背国が秦氏の拠点だったからであり、遷都によって莫大な利益を上げることが可能だったからだ。
藤原種継の母は秦氏であり、種継も秦氏の血を引く者であり、遷都プロジェクトを指揮したのは他ならぬ種継だった。
山背派の人間は表向きは他の氏族でも、秦氏の血を引く者がかなり発見できるという。

それもそのはず、山背は後に「山城」になったが、山背も「ヤマシロ」と読む。
本来は「山代」と書くはずだが、なぜ「シロ」とは読めない「背」という当て字を使ったのか……。
それは「ヤマダイ」と呼ばれることを恐れたからである。
ヤマダイとは「邪馬台」であり、彼らは邪馬台国(日向国)の後継者なのだが、ある理由によって記紀からその存在を削除したのである。

さて、桓武天皇の母・高野新笠の先祖を辿ると、百済王氏という渡来系氏族に行き着く。
百済王氏の拠点は南山背(長岡京)にあり、秦氏と同じ渡来系豪族ということで深い繋がりを持ったらしい。
桓武天皇自身も山背派の人間で、秦氏と強い結び付きがあったという。
実は、秦氏も百済系渡来人で、百済から伽耶を経由して日本に渡来した。
だが、平安時代を境に、秦氏は歴史の表舞台から名前を消していった。
まるで、封印された出雲族を演出するかのように……。
しかし、秦氏は滅びたわけではなく、姓を変えた支族が権力中枢と結び付き、天皇や政治経済を裏から動かしている「真の闇帝王」なのだ。

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「アーリオーン・メッセージ」より

――わずか十年の間に長岡京・平安京と二度も遷都をした直接的な動機は、殺した親族の怨霊から逃れる為であった、とさえ言われる。
また、坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北に派遣し、多くの蝦夷を討ち滅ぼした。
アリオンによると、このとき征討された蝦夷は出雲系アマ族の子孫であった。
さらに、桓武天皇には朝鮮半島から来た渡来系民族の血が流れていた、という事実がある。
桓武天皇以後、天皇の側近や朝廷の高位に多くの渡来系民族が登用されるようになり、日本は徐々に渡来系民族に牛耳られていく。
渡来系民族の繁栄に反比例して、日本固有の民族的エネルギーは徐々に衰退していった。
桓武天皇が志したような「渡来系民族による日本の支配」という夢を、もう叶えてはならない、というのが、このメッセージの趣旨の一つだと考えていいだろう。
仏教を奨励した桓武天皇は、日本の祖土に仏教様式の建築や仏像を作り、京の都に並べ建てた。
そして、仏教の影響を受けた日本の民は、次第に「カムナガラノミチ(神慮のままに人為を加えぬ日本固有の道)」である神道から外れていくことになった――


「桓武の夢を一度は叶えた国民よ、此度は思いとどまれよ」

国民が何を指すのかは、もうお分かりだと思う。
日本は建国当初から渡来系勢力に乗っ取られて、呪われ続けて来たのである。

『日月神示』には次のように示されている。

「仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大きな岩戸閉めであるぞ」

これは仏教が悪いという意味ではなく、古代史を改竄して国津神を封印し、仏教を広めて本来の日本精神であるカムナガラの道を退廃させた「聖徳太子一族」から始まる「桓武天皇」を指し、そのバックには秦氏集団が活躍(暗躍)していた。

アリオンのメッセージには「過去・現在・未来の3つの話がある」らしいが、現代に於ける「桓武」も壮絶な仏教の釈仏を行ない、神道を糾弾し、中国共産党や反日諸国と深い接点を持つ国賊である。
だが、それは秦氏ではない。現在の桓武も皇室に侵食しつつある。
それに対して秦氏は反対勢力を動かし始めた。
マクロな視点で見ると双頭戦略であり、これも神芝居なのだと思う。

聖徳太子を例に挙げれば、偉人と極悪人は紙一重である。
善と悪の関係については今後詳述する必要があるが、「岩戸閉め」も物質界完成の為に必要な神の経綸(計画)で、聖徳太子が悪人という意味ではない。
ただ、知っておく必要があるのは、2支族のユダヤ人である現天皇家と秦氏は、同族である「ロスチャイルド家」と同様の役目を果たしてきたという事である。
東西に別れた2つのマイナスのメシア(反キリスト)の融合が実現して、「イエス・キリスト」が再臨するという言い方も出来るかも知れない。
人間界に於いての「再臨のイエス・キリスト」とは、真のフリーメーソンであるスメラミコト「ニギハヤヒ」の復活である。

尚、ニギハヤヒは三輪山に葬られたが、三輪山は賀茂氏と同族である三輪氏を象徴する山である。
アリオンによると、三輪山はピラミッド建築になっているが、改めて述べるまでもなく彼らはフリーメーソンである。
ピラミッドを建設するのがフリーメーソンなら、ナイトルシファーは認識界に於いて「黄金太陽」を建設するフリーメーソンである。
黄金太陽とは、△(出雲族)と▼(日向族)を融合させた正八面体で、それによって真の天照大神「ニギハヤヒ」を復活させるのである。
ナイトルシファーは、日向族及び闇帝王を敵視するのではない。
「万有の平和と安寧への道」を先導するのが八咫烏だからである。
posted by チェンリー at 23:55| Comment(6) | 真の闇帝王と出雲族封印の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
呪いが解除されていくようです。
グランドマスターのカバラは月のものという感じですね。
月は地球を観察するために回っているのかもしれませんね。
月だけは真実を観測できる位置にあったのでしょうね。
日の栄え・月の栄え・星の栄え・・・の『星』とは地球に同じだそうです。
一体、『月』とは?
Posted by オクト at 2010年06月20日 00:36
月の引力が人間の進化を操作しているという説がありますね。
Posted by チェンリー at 2010年06月20日 09:39
むむむ…やはりどうも引っかかりを感じる内容です。入会は保留です。
私には、こじつけ、言いがかりとしか思えないのですけれど?
Posted by おりおん at 2010年06月20日 23:46
それは、おりおんさんがよくおっしゃる「我見」です。
マクロな視野で当結社の意図を感じ取って下さい。
Posted by チェンリー at 2010年06月21日 08:10
松岡正剛氏の千夜千冊よりの引用ですが、藤原京から平城京への遷都の時、不比等によって石上(物部)朝臣麻呂が藤原京の留守居役にされたのですが、その恨みをこめて麻呂は弓の弦を鳴らしたそうです。
これは三輪山の神(大物主神)を呼び出す呪術でタマフリの1種なのですが、ヤマトに君臨していた物部の祖ニギハヤヒは三輪山の神の謎に深く関わっていて、藤原体制では持ち出されては困るものなのでした。
その弦の音に不比等が擁立した斉明天皇たちは怯えていたとか・・・
「ニギハヤヒは古代日本形成期の時空を超えて二重三重の重要場面の中心人物なのだ」
物部部ー金属生産に関わった者、「フツノミタマ」を祀っていた者、物部八十伴雄(もののふのやそとものお)を旧体制の遺物として封印したかったのでしょうね。
和銅3年(710)平城京遷都
延暦13年(794)平安京開都
肥大化した南都六宗の旧仏教勢力を封じ込めるために最澄・空海を立てて日本の仏教を密教系に塗り替えます。
・・・・何かひとつのキーワードを検索して、またその関連で検索を延々と続けていると、日本の歴史の奇妙さに我慢できなくなってきます。
トリックに見えるのか、自分の頭が小説仕立てにしているだけなのか。
しかし、ネットの中ではみんながその解に向かって進むしかないように感じます。
そして自分たちが嘘ばかり教えられてきたことに気づくのです。
人間を機械として操る単純な方法は二者間対立を構築することです。
昔、コカコーラとペプシコーラは同一だと聞いたことがありました。
でも競争原理を取り入れた方が売り上げが伸びるので、ペプシを創ったのだと。
天台宗と真言宗も神道仕様の仏教を日本に広めるためのトリックだという気がしています。
2年前、この辺りを調べていて判ったのは、日本の殆どのブレーンは比叡山に何らかの関わりを持つ人物ばかりだということでした。
Posted by オクト at 2010年06月21日 13:42
魔界都市「京都」の鬼門に位置するだけあって、比叡山には何かの磁場が働いているようですね。
その麓一帯の地名は「八瀬」で、八瀬の人は鬼の子孫だという言い伝えがあります。
そこには「九頭龍神社」があります。
Posted by チェンリー at 2010年06月21日 17:29
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