2010年08月01日

鹿島神宮の要石

「封印は古代遺跡に施された!?」で、鹿島神宮の要石について述べた。
http://jew-beast.seesaa.net/article/154797643.html

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白峰聖鵬氏の著書『日月地神示』にも要石の事が書かれているので紹介する。

「茨城県の鹿島神宮にカナメ石があるのですが、
その石が結界になっていて、関東の地震を抑えているツボの一つなのです。
カナメ石は、正確には八つあって、鹿島神宮のカナメ石は、
なかでも四つの重要な場所の一つです。
残りの三つは教えられません。
教えると変にいじくる人が出てきますからね」


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日本ペトログラフ協会会長・吉田信啓氏の著書の中で、古代の祭祀遺跡について詳しく書かれた2冊が『神々の遺産』と『祭祀遺跡の黙示録』である。
現在、我輩はこの2冊を検証中だが、ご興味の方はこの研究に参与願いたい。
posted by チェンリー at 21:37| Comment(12) | ルシファーの封印解除 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
閣下、これはナイトルシファー会員とは別扱いですか?
興味有りなので、参与希望します。
(でも本は所蔵していません・・・)
Posted by オクト at 2010年08月02日 09:59
閣下、破地獄の種子さん、おはようございます。
夕べまでの検索結果を報告しておきます。

藤原家を知るほどに閣下の不比等が聖徳太子の後継だという言葉を思い出します。
藤原家を単なる一族として見るよりは、たとえば12支族の統合として捉えた方が本質に迫りやすく感じています。

破地獄の種子さんも触れていた鎌足長男定恵ですが、確かに不思議な人物ですね。
主にウィキペディアから拾いましたが、定恵は遣唐使として長安で恵日寺の神泰に学んでいます。
神泰は玄奘三蔵の弟子だそうです。
玄奘三蔵には、行基の師である道昭が師事し、法相教学を学んだとか。
法相宗は藤原家の氏寺、興福寺がそうであるそうです。
ここで、藤原家―玄奘三蔵の太い繋がりが浮かび上がってきます。

では玄奘三蔵は何をしに天竺に行ったのかとなると、大乗仏教を持ち帰っており、その大乗仏教を起こしたのが龍樹です。

ここでまた、閣下のトマス=達磨についての記事が想起されます。
もし大乗仏教が、小乗仏教とグノーシス主義や原始キリスト教が融合しあい、キリストと弥勒が合体されているなら、1本の線に漸くすべてが繋がるような予感がします。

マニ教が席巻した後なので、これは考えられないこともありません。

鎌足だけが持つ冠位13階制での最高位の大織冠ですが、これも暗示めいています。
そして不比等の息子たちの藤原四兄弟。
4人ともに737年の天然痘の流行で死亡していますが、四人というのもまた意味深です。

龍樹に大乗仏典を授けたのがマハーナーガ(大龍菩薩)とされています。
何かと登場する海底の龍宮ですが、能:海人にも北家祖の房前の出生についての因縁として登場しています。

破地獄の種子さんの思考がわたしに流れてきているということはないですか?
もし、よろしければご返事下さい。
以上、経過報告でした。
Posted by オクト at 2010年08月03日 07:28
こんばんは、閣下、破地獄の種子さん。

返却期限を2週間も過ぎている「日本の時代史」を今日、一度は返しに行って、再度借りようと思って夕べからザッと目を通しています。
一、倭国誕生〜五、平安京までの5巻を借りていますが、何かを求めるように流し見して、二、倭国と東アジアに掲載されている写真が、閣下紹介の埼玉古墳群の一つ、稲荷山古墳より出土した鉄剣と、破地獄の種子さんの故郷、群馬県の古代首長の居館遺跡や、6世紀の集落跡、黒井峯遺跡だったので、何かを暗示しているように感じました。

この二巻では、朝鮮半島からの技術系集団の渡来人たちが王権に組み込まれ、かつ再編されていった様子が推測されています。
雄略の時代に、「雄族」「双璧」と評された秦氏・漢(あや)氏の組織編成があったそうです。
秦氏は秦造に、漢氏は伴造のもとに組み込まれ、率いられるようになったとあります。

これらの流れから目をひくのは以下の記述です。

・ 技術の維持・更新のための技術者集団の再生産システムの組織的機能

・ 外交・交流のネットワークでの優位的立場を背景に、王権が技術革新の中核的存在となる一方、それら技術・情報・生産物は技術者の派遣も含めて、各地に贈与し続けた

王権と渡来人の組織編成・・・わたしはこの言葉の意味を考えるとき、DNAが呼び覚まされるような感覚に陥りました。
続く三巻は「倭国から日本へ」です。

霊的には、今の日本は再度倭国から日本へと進化する時に来ている感じがします。
わたしたちの体の中に流れる王権と渡来人の血が、忘れていた記憶を思い起こさせようとしていると感じます。
そのエネルギーの流れがわたしを閣下に出逢わせ、ま〜君に、破地獄の種子さんに出逢わせているのでしょう。

ではふたつのネットワーク、「王権」と「技術」ですが、これらも我が闘争の記事のようにプロセスは完として、既に我らの手の中にあると考えるべきなのでしょう。
神仙組の中に既に日本へ進化するための王権と技術のネットワークはある・・・と。
Posted by オクト at 2010年08月05日 03:44
秦氏は原始キリスト教団の末裔ですが、仏教徒として日本に渡来していますからね。
「王権」と「技術」、ナイトルシファーの密儀ですね!
Posted by 獣 at 2010年08月05日 04:21
そうですね。
仮に閣下率いる神仙組が後世まで名の通る組織となった場合、何教と呼ばれるのかなんて考えは閣下はお持ちにはなっていない。
アリオン教とも、ヌース主義とも、キリスト教反動派とも名づけられるのか。
なんと呼ばれようとも、人類の意識進化のためにひたすら啓蒙し続けるのみですものね。

引き続き「王権」と「技術」ですが、王権についてはそれぞれが先祖霊を通して手にいれていけばいいのですが、肝心の技術について、また「倭国と東アジア」より導き出してみます。

破地獄の種子さん、これらの報告は閣下とあなたに対してされているものですので、真面目に受け留めてくださいね。
あなたはわたしにとっては生命の樹なのですから。
イエスであるあなたと、その裏側いる閣下=アダム・カドモン。

― 王権と渡来系技術・文化 ―
「外交と文字」の中で、史部(ふみひと)と呼ばれる王権の文書実務を担当する職掌を持ち、特定の渡来系氏族で構成された集団があったと書かれています。
特に中国王朝との間で漢文・漢語の使用が不可欠であったため、文筆に優れた者が外交に深く関わっていくようになったそうです。
それは、宋への上表文が『春秋左氏伝』などの中国古典に則った漢語表現を駆使し自己の要求を主張するほど深化していた―
そこまで至った五世紀の王権とフミヒトの関係を軽視することはできない―
Posted by オクト at 2010年08月05日 10:21
できればこの二巻「倭国と東アジア」のP259〜P263までを丸写ししたいところですが、「人神」でしたような冒険はさすがに抵抗があるのでやめておきます。

古墳出土の鉄刀剣の銘文は、文字の持つ呪術性について、五世紀の地方の首長たちも重視していたことを示しているということです。

ナイトルシファー的「技術」とは文字・言葉・文を操る業であるということです。
すべての意味を含めて・・・

Posted by オクト at 2010年08月05日 11:04
こんばんは。
本を返却に図書館に行ったら、法隆寺関係の本が2冊、目についたので、そちらを借りてきました。
『斑鳩の夢』というのに鹿島神宮のことが書かれてありました。

この本によると、播磨国では良質な鋼と良質な砥石を産出していて、それを原料として河内国の枚方の里の漢人(陳の難民の刀工?)たちが「呉の真刀」の製作を始めた。
その後、上宮法皇(聖徳太子)により、本格的に斑鳩の地に製刀工房集落が営まれた。
聖剣とも言われた呉の真刀の製法の秘密は堅く守られていた。

663年、百済と連合して戦った白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れると、おそらく戦勝国側は斑鳩の造刀技術、優れた技を持つ刀工の引渡しを要求してきたのではないかとうことです。

なぜなら敗戦直後、これらの刀工たちは忽然と消えたらしく、おまけに斑鳩寺が炎上しているそうです。
その刀工たちが身を隠したのが鹿島神宮ではないかということです。
『常陸国風土記』に704年、香島で刀剣が造られたことが書かれているそうです。

白村江敗戦後、藤原氏が刀工集団を軽野と呼ばれる香島の神山(鹿島神宮と香取神宮所在地)に移し匿い、ほとぼりが冷めると、再び斑鳩の地で刀剣の製産を始め、それを興福寺が独占してきたのではないかということです。

興福寺、元は山階寺、平城遷都に際し、奈良に移されて興福寺となったのが、和銅三(710)年。1300年前です。

Posted by オクト at 2010年08月06日 00:04
上野隆功氏著『斑鳩の夢』はオクトお薦めの一冊です。
できればじっくり読んでからご紹介したいのですが、時間が迫っているので拾い読みの引用になります。

呉の真刀を造るためには、玉鋼を得るための良質の砂鉄、精錬や鍛冶のための良質な松の木炭、鋼を鍛えるための水、火力を強めるための風、あるいはそれを起こすためのフイゴが必要でした。

古来の製鉄に対する知識を深めてから、記紀の岩戸隠れの記述を読むともやもやが晴れていく気がします。
天羽鞴(あまのはふき)・天羽羽斬とはフイゴのことで、フイゴは吹き皮、鹿の皮で造られたそうです。
一頭の鹿をまる剥ぎにしてひとつのフイゴをつくったそうです。
フイゴの起源は鉄器の出現と密接に関連しているそうなので、ヒッタイトを思わせます。

香山(かぐやま)の名は、鹿来墓(かぐはか)であると播磨国風土記にあるらしく、皮を剥がれた大量の鹿の墓があったのだろうと書かれています。
飛鳥の香具山も鹿の屠殺場であろう・・・と。
ちなみに朝鮮半島では鹿ではなく、牛の皮が使われたそうです。
Posted by オクト at 2010年08月06日 11:07
引き続き『斑鳩の夢』よりです。

鹿児島神宮(別名:大隈正八幡宮)の詞書には、中国南朝最後の陳の大王の大女オオヒルメが陽にあたって妊娠して男子を生んだとあるそうです。
その母子が船で流れ着いたのが九州で、その子が八幡で応神であるとかなんとか・・・・
これらから、陳の滅亡に際して王家と刀工が日本に来たのであろう・・・

この刀工たちが聖剣「呉の真刀」を作り、それを上宮法皇(聖徳太子)が大陸や半島に輸出していた・・・武器商人みたいですね。


推古天皇31(623)年、斑鳩の地に霊験あらたかな「ほとけ」が来たそうです。
このほとけの加護を受けた刀剣は決して折れることはないと云われたそうです。
これが法隆寺の救世観音像であると。

ここで『高王観世音経(折刀経)』や、『法華経』の「観世音菩薩普門品」と刀難の厄除けの関係について紹介されています。

また救世観音像が持っている宝珠は「火を生ずる宝珠」であり、斑鳩の地に製鉄の火が絶えることのないように見守っていたのがこの像ではないかとのことです。
Posted by オクト at 2010年08月06日 13:30
淡海公が臨在されているので、あまり引き延ばしてもなんですので、不十分ながらもひとまず締めていきたいと思います。

倭国から日本への移行が体制の変化だとすると、そこには武器の移行が伴ったのでしょう。
武器も言葉も技術によって扱います。
危機が体制を変化、進化させていくのですから、藤原家の台頭は、やはり白村江の敗戦からの戦後復興の必然であったと感じます。

ヒッタイトの不思議を思うとき、製鉄技術の優劣が如何に周辺国に対する抑止力となるかについて考えさせられます。
列島を侵略から守ってきたのは「刀」であり「言葉」であったと言えるかもしれません。
言葉は仏教、おもに法華経により一元化を図られたとするなら、日本という場=エピステーメーは法華経であったと言っても過言ではないかもしれません。

場によって国を守る・・・そんな美学を藤原家に感じます。
物質的に完成された日本を、霊的に完成させる時期に今、来ているのだとしたら、霊的な白村江の敗戦とは、中国・北朝鮮連合に韓国・日本連合の敗北ということになるのでしょうか。

言葉は火のようでもあり、刀のようでもあります。
殆どの日本人は藤原家の末裔ではないのでしょうか。
鎌足だけが13冠位の最高位大織冠を持つ必然を思います。


Posted by オクト at 2010年08月06日 14:53
よろしくお願い致します。節分・旧正月に入会できてうれしいです。
閉じ込められた神からのお導きでしょうか(^^) 
某所にストーンサークルが何点かあります。
封印が解かれたのは今のところ忍路環状列石のみでしょうか?
Posted by fairy at 2011年02月04日 11:31
100年程までの殆どの日本人は南方系の特徴だったことが判明しているので、殆どの日本人が藤原家の末裔ということはないと思います。
ところが僅か100年で日本人の姿は激変しました。
単なる食生活の変化では説明できないものです。
その事について、また改めて書こうと思っています。


どこでどれだけの封印が解かれているのかは私には分かりません^^;
より重要な事は霊的な封印解除です。
このブログの執筆が休業中になっていますが、そのうち再開しますので宜しくお願いします。
Posted by 獣 at 2011年02月15日 22:34
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