2010年06月14日

古代フリーメーソン

アダムメ―ソン

フリーメーソンは自由石工という意味で、その起源は古代の巨石文明を築いた建築家集団にある。
更にルーツを遡ると、エデンの園に石壇を造ったアダムがフリーメーソンの始祖だとされている。
もっと言えば、宇宙を設計して創造した絶対神ヤハウェがフリーメーソンの大王であるという。
これは人体の設計図を建設した「サムシング・グレート」と同一神である。

その建設技術は宇宙創造の叡智であり、ユダヤ教神秘主義「カバラ」と呼ばれている。
また、神が持つ人類愛がフリーメーソンの「友愛」の起源であり、アダムとイブの相互扶助が人類最初の「友愛」となった。
これを「アダムメ―ソン」という。

そして『旧約聖書』の預言者と呼ばれる人たちに、そのアダムメ―ソンのカバラの奥義が代々継承されてきた。
その最も偉大な作品が、アダムから7代目の預言者エノクが建設したエジプトの三大ピラミッド複合体である。
ピラミッドは地球の構造を再現した意識進化装置で、カバラの奥義を具現化したものだとされている。

カバラとは単なる建設技術ではなく、意識進化(宇宙創造=建設)を促す叡智なのだ。
それと同時に、地球の雛型であるピラミッドが神殿である以上、世界に神の王国を建設するのがフリーメーソンの目的なのだ。

やがて、カバラの奥義はノアに継承され、巨大な箱舟が建造された。
大洪水後、ノアは「セム」「ハム」「ヤフェト」という3人の息子にカバラを伝承した。
セムの妻は黄色人、ハムの妻は黒人、ヤフェトの妻は白人で、黄色人種の祖となったセムから「セムメ―ソン」、黒人種の祖となったハムから「ハムメ―ソン」、白人種の祖となったヤフェトから「ヤフェトメ―ソン」が誕生し、3つのフリーメーソンの活動によって大洪水後の地上にエデンの園が再建されることになった。

セムメ―ソン

その中で、ノアからカバラの奥義と全神権を継承したのは長男のセムであった。
セムメ―ソンは人類最古の文明とされるシューメール文明(初期バビロニア文明)を開花させ、さまざまな都市国家を樹立し、ジッグラトと呼ばれる神殿を建設した。
「創世記」に記されているバベルの塔は、バビロンのジッグラトが伝説化されたもので、階段ピラミッドのような建造物だったと考えられる。
最大規模のジッグラトはエラム王国のチョガ・ザンビール遺跡(現イラン)で、セムの長男エラムが建設した王国だったと考えられる。
保存状態の良好なジッグラトとしては、シュメール人都市国家の1つであるウル遺跡(現イラク)のものが挙げられる。

Choghazanbil2.jpg

その後、シュメール人はアッカドやバビロニアの侵攻を受けてアジア全域に離散した。
興味深い事に、中国神話の始祖「伏羲」「女媧」は、矩(直角定規)と規(コンパス)で大洪水後の新世界を設計したという話がある。
直角定規とコンパスは基本的な測量用具で、近代フリーメーソンのシンボルにもなっている。

fyhj.bmp

また、セムメ―ソンの一派はアメリカ大陸にも進出し、マヤ、アステカなどの文明を開花させ、階段ピラミッドを建設した。

95764453.jpg

また、ウル出身のアブラハムはメルキセデク王から祝福を受け、絶対神の啓示に従ってアブラハム一行はカナンの地に向かった。

セムからアブラハムまでの系図は次の通りである。

セムは大洪水の2年後、100歳で3男のアルパクシャドを生んだ。
その後、セムは500年生きて、息子、娘たちを生んだ。
アルパクシャドは35歳の時に、シェラフを生んだ。
その後、アルパクシャドは403年生き、息子、娘たちを生んだ。
シェラフは30歳の時に、エベルを生んだ。
その後、シェラフは403年生き、息子、娘たちを生んだ。
エベルは34歳の時に、ペレグを生んだ。
その後、エベルは430年生き、息子、娘たちを生んだ。
ペレグは30歳の時に、レウを生んだ。
その後、ペレグは209年生き、息子、娘たちを生んだ。
レウは32歳の時に、セルグを生んだ。
その後、レウは207年生き、息子、娘たちを生んだ。
セルグは30歳の時に、ナホルを生んだ。
その後、セルグは200年生き、息子、娘たちを生んだ。
ナホルは29歳の時に、テラを生んだ。
その後、ナホルは119年生き、息子、娘たちを生んだ。
テラは70歳の時に、アブラムとナホルとハランを生んだ。

アブラムは絶対神から「アブラハム」という名を与えられた。
また、アブラハム一行はノアの曾孫エベルに因んで「へブル人」と呼ばれた。
尚、ユダヤの伝承では、メルキセデク王とセムは同一人物とされ、セムからカバラの奥義と大神権を与えられたのは「アブラハム」だとされている。
ここに、アブラハムを祖とする「へブルメ―ソン」が誕生した。

へブルメ―ソン

『旧約聖書』に基づけば、へブル人の王(へブルメ―ソンの預言者)であるアブラハムこそがアダムメ―ソン直系の正統継承者ということになる。
アブラハムの妻サラは不妊だった為、アブラハムはエジプト人女性ハガルとの間に長男「イシュマエル」をもうけ、その後、サラに子供が宿って「イサク」と名付けられた。
だが、イシュマエルがイサクをからかった為、ハガルとイシュマエルは追放される事になった。

そのイシュマエルの子孫をイシュマエル人と呼び、後にアラブ人を生み出した。
これを「イシュマエルメ―ソン」と呼ぶが、やがてアラブ人の中からムハンマドが誕生し、絶対神アッラー(ヤハウェ)の啓示を受けてイスラム教が誕生した。
イシュマエルメ―ソンはへブルメ―ソンの大神権を継承していない為、ムハンマドはへブルメ―ソンの正統な預言者ではないということになる。

アブラハムの後継者となったイサクは、カナン人女性リベカと結婚し、エサウとヤコブという双子の兄弟を生んだ。
ヤコブは兄エサウの受けるはずだった長子の祝福を横取りし、ヤコブがへブルメ―ソンの後継者となった。
また、ヤコブは天使と格闘し、神の勝者を意味する「イスラエル」という名前を授かった。
ここに「イスラエルメ―ソン」が誕生した。

イスラエルメ―ソン

イスラエルは4人の妻との間に12人の息子をもうけ、イスラエル12支族が誕生した。
イスラエルはへブル人とカナン人のハーフとして生まれたので、イスラエル人はへブル人とカナン人のハイブリッド民族だと言える。

カナンとはハムの4男で、ハムがノアの裸を見たことにより、カナンが呪われることになった。
普通に読めば理不尽な話だが、その呪いというのは「カナンはセムの奴隷となれ」ということである。
そのカナンの子孫をカナン人というが、もともとへブル人がウルからカナンの地へ移住してきたことで両者は交配し、ヘブライ語もカナン人から学んだものである。

さて、イスラエルは12人の子をもうけ、後にイスラエル12支族が形成されたが、イスラエルは誰よりもヨセフを愛して神権を授けた。
後にヨセフはエジプトに移住し、エジプト王の厚遇を得て宰相にまで昇り詰めた。

ここで重要なことは、エジプト文明の祖が、ハムの次男のエジプトだということである。
つまり、エジプト人はエジプトの子孫であり、カナン人と兄弟民族なのだ。
エノクが建設した三大ピラミッドと大スフィンクスを除いて、エジプトの巨石建造物の多くがハムメ―ソンの産物である。
厳密に言えば、エジプトを祖とするエジプトメ―ソンであり、その王(預言者)はファラオと呼ばれた。

イスラエルは両親と兄弟をエジプトに呼び寄せ、イスラエル民族(イスラエルメ―ソン)はエジプトで大いに栄えた。
だが、紀元前17世紀頃、メソポタミア地方の覇権を握っていたヒクソス人がエジプトを占領し、ファラオとして君臨した。
やがて、エジプト人の勢力が強くなり、ヒクソス人は追放され、イスラエル人は奴隷となった。
 
紀元前13世紀、エジプトに住んでいたイスラエル人の預言者モーゼがエジプトの宰相となり、同胞であるイスラエル民族を率いてエジプトを脱出した。
時のファラオだったラムセス2世は貴重な建設作業員(イスラエルメ―ソン)を取り戻す為、軍を派遣してイスラエルメ―ソンの後を追った。
しかし、モーゼが起こす奇跡によって、イスラエルメ―ソンはエジプト脱出に成功。

後にイスラエル王国が建設され、ベニヤミン族のサウルが王となった。
その後、ユダ族のダビデが王となり、ヒッタイト人の妻との間に生まれたソロモンが王位を継承し、エルサレム神殿が建設された。
ソロモンの死後、イスラエル民族は分裂し、10支族の北イスラエル王国と2支族の南ユダ王国に分裂した。

やがて、北イスラエル王国はアッシリアの侵攻を受けて壊滅し、10支族は歴史の表舞台から消滅した。
残った2支族(ユダ族・ベニヤミン族)をユダヤ人と呼ぶが、これを「ユダヤメ―ソン」と呼びたい。

尚、エジプトメ―ソンの末裔は、現在もピラミッド内で秘儀や瞑想を行なっている。

イエスメ―ソンと天皇

ユダヤ人は、ユダ族のダビデの家系からメシアが現れると信じていた。
そして、ダビデの子孫であるヨセフの子としてイエスが誕生した。
ユダヤ教エッセネ派の指導者となったイエスは、神の子を名乗り、パリサイ派を批難した。
エッセネ派のルーツは、「ソロモンの神殿建設」や「ピラミッド建設」に関わったイスラエルメーソンの中でも、「セラピス教団」と呼ばれる超神秘主義宗教だと考えられており、大工の子として生まれたイエスはまさに「フリーメーソンの王」だったのである。

しかし、イエスが従来のユダヤ教を否定している以上、ユダヤメーソンと呼ぶのは不適切であり、「イエスメーソン」と呼ぶことにしたい。
イエスの昇天後、イエスメーソンを継承したのは12使徒である。
また、イエスの啓示を受けて使徒になったユダヤ教徒のパウロが、キリスト教を組織し、後に使徒ペトロを初代教皇としてローマに「カトリック教会」を建てた。

これがキリスト教の正式な始まりだが、パウロもペトロもイエスの12使徒ではなく、極論言えば、イエスとキリスト教は無関係である。
イエスがカバラの奥義を伝授したのは、あくまで12使徒だった。
では、イエスメーソンを継承した12使徒はどこへ行ったのだろうか。

実は、起源4世紀に日本列島に渡来した秦氏が12使徒の末裔だという。
イエスと同じく馬小屋で生まれた大工の祖・聖徳太子も秦氏であり、「聖徳太子はいなかった」論というのがあるが、もしそうだとしたら、聖徳太子のバックにいた秦河勝こそが聖徳太子の正体であろう。

秦氏は天皇家と密接に結びつき、カバラの奥義をもって神社神道を形成した。
また、天照大神とイエス・キリストを重ね合わせることで、天照大神を皇祖神として神道の最高神に位置づけ、天皇家の祭祀を執り行ってきた。
秦氏の中核である賀茂氏の最高祭祀は12人であり、彼らが守護する天皇こそ「イエスメーソン」の王であり預言者なのだ。
それはちょうど、イエスと12使徒の関係に対応する。

では、天皇とは一体何者なのか……。
イスラエル10支族のガド族が「ミ・ガド(ガド出身)=帝」と呼ばれるようになったという説がある。
posted by チェンリー at 06:45| Comment(0) | フリーメーソンの起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

近代フリーメーソン

ヤフェトメーソン

イエスはヨセフの実子ではなく、ナフタリ族(10支族)の領地であるナザレで生まれている。
イエスの血統がナフタリ族だった可能性があるが、もしそうだとしたら興味深い話がある。

エルサレム神殿建設の最高責任者として神殿を完成させたナフタリ族のヒラム・アビフは、ソロモン王が不在の時は代理人として、ソロモン王と同等の権威が与えられていた。
エルサレム神殿建設の最高責任者という事は、エッセネ派のルーツといわれる「セラピス教団」の指導者だったことになる。

伝説によれば、ヒラムは3人の職人に殺害されて山中に埋められた。
ソロモン王は、行方不明となったヒラムを捜索すべく、12人の職人を派遣してヒラムの遺体を発見したが、死後14日目にして腐敗がなく、「ライオンの握手法」によって蘇生したという。
言うまでもなく、これはイエス・キリストの予型である。
イエスはナフタリ族の末裔だったのだろうか……。

近代フリーメーソンでは、親方位階の参入儀礼の際にヒラムの殺害と復活の儀式が行われ、陰謀論者はこれを怪しい黒魔術の儀式だと主張する。
だが、この儀式の真意は、聖劇によってヒラムの死と再生を追体験することにより、従来の自己と決別し、神化した新たな生命体として自己変容を遂げることを示している。
つまり、これはアセンションの予型でもあるのだ。

では、近代フリーメーソンの起源は、セラピス教団にあるのだろうか。
否、近代フリーメーソンの発祥はイギリスであり、その起源は「ヤフェトメ―ソン」にまで遡る。
ヤフェトは白人種の祖であり、白人社会で広まったフリーメーソンは「ヤフェトメーソン」をルーツとしているのだ。

例えば、世界最古の製鉄民ヒッタイト人、バラモン教〜ヒンドゥー教を成立したインド・アーリア人、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラなどがヤフェトメーソンのカバラの知識を得ていたと考えて良い。
また、古代ギリシアでは、幾何学を生み出す最も基本的な道具として「直角定規」と「コンパス」が神聖視されていたが、プラトンやピタゴラスもヤフェトメーソンだったと思われる。

そして、中世ヨーロッパの大聖堂や修道院、宮殿、城を建築する石工職人のギルド(同業組合)が、近代フリーメーソンの元型になったとする説が有力である。
彼らは建築学以外にも、工学、物理学、数学、幾何学、美術などの高度な知識と特殊技術を有し、その集大成を選ばれた者のみに伝授する必要があった。
また、大聖堂や城や宮殿の建築で権力者達と交わり、様々な秘密を守る必要に迫られ、必然的に秘密結社的な性格を持つようになっていった。
石工ギルドは都市の政治・経済の実権を握っていったが、近代産業の発展と共に17世紀以降は衰退していった。

だが、1717年6月24日、イギリスの4つのロッジが統合され、ロンドンに「グランド・ロッジ」と呼ばれる本部が設立された。
これが、近代フリーメイソンの事実上の発足である。

薔薇十字団とフリーメーソン

1614年に神聖ローマ帝国で刊行された『全世界の普遍的かつ総体的改革』とその付録『友愛団の名声』により、薔薇十字団の存在がヨーロッパ全土に知れ渡った。
その活動は、始祖ローゼンクロイツの遺志を受け継ぎ、錬金術や魔術などの古代の叡智をもって、人知れず世界を救うとされる。
薔薇十字団もヤフェトメーソンの流れを汲む結社だったようだ。

薔薇十字団には、社会的・科学的・哲学的な「啓蒙思想運動」と錬金術などの「オカルティズム思想運動」の流れがあり、後者は「思弁的神秘主義」と「実践的魔術」に分けられるという。

やがて薔薇十字団の存在は伝説化し、入団希望者が増え続けた。
神秘的なシンボルを使って儀式を行うフリーメーソンは、薔薇十字団と同一視されるようになり、各ロッジに入団希望者が殺到したという。
しかし、そこにいたのは秘教とは無縁の一般労働者だった。

失望した入団希望者達は、石工とは無関係な独自のフリーメーソンを作り、ヨーロッパ全土に広まった。
その多くは、貴族や騎士、裕福階級者の集いで、相互扶助を目的とした親睦団体だったようだ。
薔薇十字団とフリーメーソンが本格的に融合した経緯はハッキリしていないが、フリーメーソンの「聖堂騎士団起源説」が噂されるようになってからだといわれている。

聖堂騎士団とフリーメーソン

聖堂騎士団は1096年に創設され、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会である。
正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」で、エルサレム神殿の遺構の上に最初の本部が設置された。
彼らは強大な軍事組織に発展し、巨大金融機関としても成長したが、13世紀の終わりにフランス王フィリップ4世によって壊滅させられた。

聖堂騎士団起源説を主張する者達は、聖堂騎士団が錬金術の秘儀に通じた秘密結社であると信じていた為、フリーメーソンが錬金術の秘密結社になることを望んでいたという。
その聖堂騎士団起源説を主張する者達は、フリーメーソン結社員だったと思って間違いない。
しかし、聖堂騎士団がフリーメーソンのルーツだったとは考えにくい。

いずれにしても、聖堂騎士団起源説を主張する者達によって、フリーメーソンは19世頃からエルサレム神殿の紋章を使い始め、フリーメーソンの起源を聖堂騎士団と結び付けようとすると同時に、ヒラム・アビフの死と復活の儀式が行なわれるようになった。

また、聖堂騎士団がスコットランドで存続したという伝説が生まれ、スコットランド儀礼のフリーメーソンやフランスを中心とするジャコバイト系フリーメーソン、諸々のオカルト系フリーメーソンが生まれたという。
だが、彼らは聖堂騎士団系メーソンでは満足できなくなり、「黄金薔薇十字団」へと発展していった。

これが「黄金の夜明け団」を始めとする魔術結社の雛型になったという。
黄金の夜明けとは「明けの明星=ルシファー」を意味し、ルシファーを崇拝する魔術結社というと危険な集団のように聞こえるが、カバラを中心に、神智学、錬金術、エジプト神話、占い、グリモワールなどを習合させたもの神秘学の秘密結社である。

イルミナティとフリーメーソン

フリーメーソン陰謀論で必ず引き合いに出されるのが「イルミナティ」で、フリーメーソンを支配する魔術結社だとされている。
イルミナティは日本語で「啓明結社」と訳され、イルミナティの語源はイルミネート(啓蒙)だが、本来の意味は「光」であり、光の天使「ルシファー」を意味するといわれている。
つまりイルミナティとは、光の天使ルシファーを信仰する「ルシフェリアン」たちなのだ。

イルミナティは1776年5月1日、ドイツのユダヤ人アダム・ヴァイスハウプトによって設立された。
ヴァイスハウプトは少年期、厳しい戒律で有名なイエズス会の修道士に教育され、宗教に対する強い反発心から、古代エジプトの魔術など様々なオカルティックな神秘主義に傾倒し、最終的に「シリウス信仰」に到達したという。
イルミナティの光は「シリウスの光」でもあるのだ。

だが、彼の過激な革命思想は世間から強い迫害を受けた。
そして、現存する国家の廃絶を強く望み、選び抜かれた超エリートによる世界統一政府の樹立を熱望していった。
そこで彼は、野望実現の為に同志を募り、秘密の集会を開いたりしていた。
そして、当時隆盛しつつあったフリーメーソンの組織力と、世界共和国建設という共通した目的に目を着け、メーソンに入会して結社員たちに自分の思想を注入し、メーソンのロッジの中心的存在にのし上がり、ロッジの主要メンバーはイルミナティ結社員で占められた。

このヴァイスハウプトの危険な動きに対し、メーソン本部もいろいろな手を打ったが、ロッジ内のイルミナティ勢力は揺るぎないものになっており、イルミナティはメーソンの一派として確立された。
このメーソンとイルミナティの結合によって、メーソン結社員は300万人を超える組織となり、「イルミナティ系フリーメーソン」はメーソンの思想を過激に、そして政治的に利用する陰謀集団に豹変し、フランス革命などを起こした。

また、イルミナティ派は、政府とカトリック教会の崩壊を狙った軍事計画を実行しようとし、メーソン内の保守派がそれを政府に密告したことで、1785年3月2日、イルミナティは活動禁止処分を受け、ヴァイスハウプトは国外に追放され、イルミナティは消滅したかに見えた。
イルミナティは事実上壊滅したが、その思想はフリーメーソンが受け継いでいる。
フリーメーソンの日本グランド・ロッジの礎石に「AL5981年」とあるが、これはフリーメーソン年号で、Aは「Anno(統治)」、Lは「Light(光)」。
つまり、「イルミナティ(ルシファー)の統治」という意味である。
posted by チェンリー at 11:05| Comment(0) | フリーメーソンの起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

失われた真のフリーメーソンの系譜

『旧約聖書』はユダヤ人によって編纂された書物である。
ユダヤ人が自分たちのルーツを正統化するように改竄されている可能性は否めない。

まず、アブラハムはセム(メルキセデク)から神権を継承したことになっている。
だが、アブラハムがヘテ人に敬服している場面がある。
ヘテ人とは、ヤフェト族のヒッタイト人である。
セム族の神権を持つアブラハムが、なぜヒッタイト人に敬服するのか。

ヒッタイトには何か秘密が隠されているに違いない。
ヒッタイト人はアーリア系の世界最古の製鉄民である。
そして、ヒッタイト帝国を征服した民族がいた。
ヒッタイトの首都は「ハットウシャ」である。
これを漢字に当てると「八頭蛇」となるのは偶然ではないはずだ。
単純に考えると、ヒッタイト帝国(ヤマタノオロチ)を退治して鉄製品を手に入れたのが「スサノオ」である。
では、スサノオとは何者なのか……。

もともと、シュメールに隣接するエラム王国の首都を「スサ」といい、スサの王が「スサノオ」なのだ。
もちろん、「スサノオ(スサの王)」という名前は日本に入ってきてから造られた言葉だが、龍を退治した嵐の神であるスサノオのルーツをシュメール神話に求めると、主神「マルドゥク」と一致する。
つまり、スサの王はマルドゥクの預言者だったのだ。

シュメール王を古代日本語でスメラミコトというが、「スメラミコト=スサの王」と考えて良い。
エラム人はエラム語を話す人種不明の民族で、シュメール人ではないとされているが、エラム(日の昇る地)からシリア(日が沈む地)までがシュメールの領土だったという説がある。
また、「シュメール人はエラムに居住して発展した」という説もあり、
エラム王国に最大規模のジッグラトが残されている事からも説明できる。

忘れてはならないのが、エラムはセムの長男の名前だという事である。
ノアは長男のセムに神権を継承している。
ヤコブは兄エサウに与えられるはずだった神権を奪った。
これは本来、長男が神権を継承する慣わしがあった事を示している。
だとすると、セムも長男のエラムに神権を与えていた可能性がある。

エラムは「スメラミコト」にして「スサの王」である。
マルドゥク(スサノオ)は牡牛で象徴される神であり、スメラミコト(スサの王)はその預言者、または化身と考えられていた。

興味深い事に、エラムには数多くのフルリ人が関与していた記録が残されており、ヒッタイト帝国と交流があった事が分かっている。
その時に、スサの王(エラム、又はその子孫)の一行が、ヒッタイトの製鉄技術を手に入れる為に侵攻したとは考えられないだろうか。
侵攻と言っても、製鉄技術を手に入れるのが目的である。
ヒッタイト人を滅ぼして鉄製品を手に入れても意味がない。
エラム人はヒッタイト人との民族融合を図ったのである。
その証拠はいろいろとあるが、長くなるのでここでは割愛する。

そして、セムメ―ソンの大神権を持つスメラミコト率いるエラム人はヒッタイト人と同化していった。
『竹内文書』によると、古代の世界天皇(スメラミコト)は世界を統一していたとされているが、実際にヒッタイト人は鉄を駆使して古代オリエントに一大帝国を築いていた。
アブラハムの出身の「ウル」も牛を意味するシュメール語で、マルドゥクを信仰していた部族だったことは想像に難しくない。

そうすると、アブラハムがヒッタイト人に敬服していた理由も頷ける。
イスラエルの地も、アブラハムがヒッタイト人に頭を下げて譲り受けた地である。
また、アブラハムが祝福を受けたメルキセデクはサレム(後のエルサレム)の王だったが、ダビデがエブス人からエルサレムを奪い取るまではエブス人の土地だった。
エブス人とはカナンの子孫でハム族であり、アブラハムを祝福したサレムの王とは「エブス人の王」だったのである。

更に、次の記述を見てもらいたい。

「出エジプト記」で、神はモーゼにこのように告げている。
「あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主」

「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい」

アブラハム、イサク、ヤコブはそれぞれ別の部族の伝説的族長なのだ。
横の繋がりである複数の王朝を系譜を縦に繋げて統一するというシュメールの年代記記述法と同じである。
アブラハムとイサクの記述には南部ユダ地方との関わりが多く、ヤコブの記述にはサマリア地方やヨルダン川東岸の記述が多い。

この事から、アブラハムとイサクから2支族(ユダヤ人)が生まれ、ヤコブからイスラエル10支族が誕生したことが推測できる。

『日月神示』には次のように示されている。

「イスラの十二の流れの源泉判る時来たぞ」
「イスラエルの十二の支流(わかれ)も今までは、その源泉を知らなんだなれど、いよいよ天の岩戸を開く時節が参りて来たから……」


もう1つ忘れてはならないのが、ヤコブ(イスラエル)の双子の兄で、神権を継承するはずだったエサウ(エドム)である。
エドムの子孫を「エドム人」としてイスラエル人と区別されているが、実際のところ部族的な違いはなかったと思われる。

「創世記」によれば「エサウは四十歳のとき、ヘテ人とベエリの娘ユデデとヘテ人とエロンの娘バスマテとを妻にめとった」とある。
エドム人とヒッタイト人が親密な関係にあったことを物語っているが、もっと言えば、エドムとヤコブはエラム系ヒッタイト人だった可能性が高い。
そして、ヤコブが正統なセムメ―ソンの「スメラミコト=スサノオ」の神権を継承したのである。
だが、本来は兄であるエドムが継承するべき神権だったという事なのだ。

そして、ソロモンが神殿に「契約の箱」を収めると、雲が神殿に満ち、ソロモンはこう言った。

「主は日を天に置かれた。
しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。
わたしはあなたのために高き家、とこしえのみすまいを建てた」


同様に、スサノオが出雲で宮殿を建てた時にも雲が現れ、スサノオは日本で最初の和歌を詠んだ。

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」

「八雲=ヤコブ」「出雲=エドム」という説があるが、ヤコブとエドムの子孫(イスラエル10支族)が日本に渡来して「出雲族」となり、その族長が「スサノオ」と呼ばれる人物だったということが証明できる。
スサノオは「牛頭天王」と呼ばれているが、イスラエル10支族も黄金の子牛を崇めていた。
極めつけは、10支族が住んでいた北イスラエル王国の首都をサマリアというが、「スメラミコト」は「サマリアの王」という意味だという説がある。
「シュメール」はバビロニア語で「スメラ」と発音するが、それが「サマリア」に転訛したのかも知れない。

結論として、セムメ―ソンの絶対神権の肩書きを「スメラミコト」と呼び、それを継承してきたのはイスラエル10支族(出雲族)という事だが、反論がありそうな矛盾点を解決しておこう。

まず、北イスラエル王国と南ユダ王国は、もともと別の国だったのである。
その事は聖書にも記されており、両国を統一したのがダビデだった。
ダビデはサウルの後継者で、サウルは南ユダ王国のベニヤミン族だった。
まず確認できる事は、ユダ族のみが絶対的王権を持っている訳ではないということである。
だが、サウルもダビデもソロモンも南ユダ王国のユダヤ人だった。
サウルは失脚という形でダビデが王位に就いたが、ユダ族が肩入れされていた理由は、ヒッタイト人との関係であった。

ソロモンの時代、ユダヤ教はまだ成立していなかった。
初代大王のサウルは、息子に「エシュバール」と名付け、バアル信仰を明らかにした。
バアルはカナン神話の主神で、10支族が崇拝していた黄金の子牛「アモン」と同一神である。
2代目のダビデは、バアルの偶像を寝床に入れ、ヒッタイト人の妻との間にソロモンをもうけた。
3代目のソロモンは神殿を建て、12頭の牛の像を3頭ずつ東西南北に向けて設置していた。

もっとも、アブラハムの時代から牡牛神を主神とする多神教だったのである。
また、ダビデがエブス人と同盟していたということも挙げられる。
しかし、南ユダ王国のヤハウェ一神教は根強く、南北は争いを繰り返していた。
ソロモンの死後は、再び南北は分裂し、10支族はアッシリアの捕虜として連行された。

その後、10支族は行方不明になったが、聖書外典に「アルザル」という地に向かった事が記されいる。
10支族がアルザルへ向かった理由は、「自分の国で守れていなかった律法を守るため」だった。
それは、「ヤハウェ一神教」と「偶像崇拝の禁止」だろうか。
否、その逆である。
「十戒」の厳守であれば、南ユダ王国のユダヤ人と決別して、わざわざ前人未踏の地に赴く必要は全くない。
彼らは、シュメールから受け継いできた牡牛神(マルドゥク=アモン=バアル=スサノオ)を主神とする多神教を、ヤハウェやユダヤ人に邪魔されないようにアルザルに向かったのだ。

ハムメ―ソンの絶対神権を継承するのが「イスラエル10支族」であれば、イエスはどうなるのだろうか……。
イエスはヨセフの実子ではなく、また、10支族のナフタリ族の地であるナザレで生まれたことを忘れてはならない。

また、イエスからカバラの奥義を伝授された12使徒は全員ユダヤ人だが、あくまでも使徒であって神権を継承された訳ではない。
イエスは12使徒に次のように命じて昇天している。

「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい」

「イスラエルの家の滅びた羊」とはイスラエル10支族のことである。
だが、イエスの時代のサマリアには10支族はいなかった。
イエスは12使徒に「失われた10支族の後を追って、牡牛の王に仕えよ」と命じたのである。
「牡牛の王に仕えよ」などとは聖書には記されていないが、イエスが公開したカバラの奥義とは、真のヤハウェ(アメン)のことなのである。

その根拠はここでは割愛するが、真のヤハウェとは、エジプトの太陽神アメンであり、それはイスラエル10支族が崇拝していた黄金の子牛アモン(バアル)であり、源泉を辿ればシュメール神話の主神「マルドゥク」であり、日本神話でいう「スサノオ」である。

エラムのスサの王権「スメラミコト」を継承するイスラエル10支族(出雲族)は日本に渡来し、出雲王朝を築いていた。
その前に、ペルシアを征服して「スサの王」を名乗り、エジプトではファラオになって「アメンの子」を名乗り、世界を征服したアレクサンドロス大王との接点もあった。
彼もまた、ヒッタイト人の血を引くマケドニアの大王だった。
そのアレクサンドロスの後継的な役割を受け継いだのが10支族のガド族で、族長の「スサノオ」と呼ばれる人物が「帝」となったのである。

宇宙神霊アーリオーンによると、スサノオは2支族の流れを汲む日向族の娘(アマテラス)と婚姻関係を結んだ。
これによって12支族の同盟が実現し、日本列島において「イスラエル王国」が再建されるはずだった。
だが、日向族の実質的な権力を掌握していたアマテラスの義弟たちは、
2人の結婚に反対し、「婚礼を行なうなら後世にまで祟るような呪縛をかける」と脅した。
しかし、2人の婚礼は実行に移され、アマテラスの義弟たちは出雲族の整地や日本の重要なエネルギースポットに封印を施し、日向族と出雲族の関係は修復不可能なまでにこじれ、後世にも様々な悪影響を及ぼすようになったという。

出雲族を封印した呪術は「カバラ」であり、渡来系勢力の力を借りて行なわれた。
この渡来系勢力とは……ズバリ「イエスメ―ソン(12使徒)」の末裔である。
彼らは神社神道を成立した裏神道の元締で、陰陽師の大家でもある。
そして、スサノオを「鬼」として艮の方角に封印した張本人である。

スサノオの第5子のニギハヤヒは、スサノオから王位を継承して畿内に東征し、大和王国を樹立して事実上の初代天皇となった。
ニギハヤヒこそ、正真正銘の「神武天皇」であった。

ところが、記紀によると、ニギハヤヒの後に神武天皇が畿内に入って来たとされている。
しかも、神武天皇は日向出身という事になっている。
ニギハヤヒ政権は日向族の或る人物によって敗れ、「神武天皇」という肩書きも奪われ、大和王国も乗っ取られてしまったのである。
この日向族の王(偽の神武天皇)を先導したヤタガラスの正体は、言うまでもなく「イエスメ―ソン」であり、その子孫は現在でもヤタガラスと呼ばれ、天皇(日向族の王)を影で守護する日本の絶対権力者なのだ。

何故、イエスメ―ソンは出雲族の王を守護せずに日向族に味方したのか。
それは、イエスメ―ソンが日向族と同じ2支族だったからであろう。
いずれにしても、セムメ―ソンのグランドマスター、真のフリーメーソンの大王は「ニギハヤヒ」なのである。
posted by チェンリー at 07:37| Comment(2) | フリーメーソンの起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

ローマ・カトリック教会の正体

1738年4月28日、ローマ教皇クレメンス12世がメーソンに破門を宣告し、
フリーメーソンリーを徹底的に取り締まるよう各国に要請する大勅書を公布した。
これが、ローマ・カトリック教会のフリーメーソンリーに対する最初の宣戦布告である。

以後、歴代の教皇は20回以上にわたって、フリーメーソンリーの活動を非難し、弾圧を勧める各種の公文書を発表し続けた。
ところが、カトリックの公文書はラテン語で書かれているため、普通の人は読めない。
そこで、各地域の聖職者やカトリック諸国の官憲は、フリーメーソンリーを悪魔視し、デマを満載したビラやパンフレットを大量に配布した。
罪状としては、ユダヤ人やテンプル騎士団に対して浴びせられてきた告発が再利用された。

このようにして、「反フリーメーソン運動」が世界中に広まっていくことになったのである。
陰謀論者たちは「ユダヤ=フリーメーソン」説を喧伝しているが、フリーメーソン自体はユダヤ人を中心とする秘密結社ではなく、初期の頃はユダヤ人の入会をを認めていなかった。
フリーメーソンは「ユダヤ人に乗っ取られた」とか「イルミナティに支配されている」という見方もあるが、そのような側面があることは否定できない。

だが、それはフリーメーソンの本質ではない。
要するに、フリーメーソンのダークなイメージは、歴代の教皇による執拗な非難によって植え付けられ、陰謀史観が支えられてきたのである。

「ユダヤ・プロトコール」と「ユダヤ人陰謀論」の陰謀
http://mujaki666.seesaa.net/article/123314438.html
ユダヤ人とフリーメーソンの関係
http://mujaki666.seesaa.net/article/123315010.html
ヴァチカンとフリーメーソンの対立
http://mujaki666.seesaa.net/article/123317021.html

上記の記事には少し修正の余地があるが、
カトリック教会の正体は下の動画の通りである。
それを観た後に、我輩の新ブログ「イルミナティ白書」の以下の記事を見てもらいたい。

2030年「最後の悪の反キリスト」の登場の日
http://new-mu.seesaa.net/article/305213299.html


posted by チェンリー at 11:49| Comment(0) | フリーメーソンの起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする